『生徒会の一存』にみる『プリンセスブライド』の構造的失敗

生徒会の九重』を読んでる。
幸せ。


エロゲのキャラクター攻略によって発生する選ばれなかったキャラクターのジレンマ(いわゆる「Kanon問題」)に対して、擬似家族的な共同体を維持しハーレムルートに持ち込むという構造がおもしろい。
攻略ルートに入りかけてもわざとらしく回避するなどかなり自覚的に仕組まれていて、ここ最近の本編では回避すら行われず主人公に好意を持っていることが伝わっているのに共同体維持の路線は変わらないことに驚かされたり。

相当に歪な作品なのだけど、だからこそたまらないんだろうなぁ。


ここで唐突に『プリンセスブライド』の話をするのですが、あのゲームは男の主人公が対象となる女の子を攻略していく構造に対してとても自覚的だったように思います。だからこそ女の子たちからプリンセスカードは提示されなくてはならないし、ゲーム序盤の5人の初夜のシーンではラブ生が嫉妬を包み隠さず、険悪な雰囲気にまでなるわけです。本来そこまで描く必要は無いはずなのに。

でも結局はADVのシステムの都合上、キャラクター攻略型の構造に回収され、プレイヤーが選んだ一人との物語である第二部へと繋がっていくことを考えると、ある種の問題意識として見た時にプリブラは失敗しているのではなかろうかと。

その失敗に対して、ひとつの回答を示しているのが『生徒会の一存』ではなかろうかと考えていたり。

元々アニメ版がただのパロディアニメと切り捨てて良いのか迷うくらいの異質さを纏っていたこともあり首を捻っていたところで下の記事を読んだのがハマった原因ではあるのですが。

Togetter - 「『生徒会の一存』の感想に至るまで」
http://togetter.com/li/3142


たまにはつらつらと。