コミケお疲れ様でした/ファンブック未掲載原稿「“元長柾木を読む”困難さ」公開

C88にお越しいただいた皆様ありがとうございました。
元長柾木ファンブック『WORLD SHIFTER』を無事頒布することができました。
今後、文学フリマ冬コミでの頒布予定の他、書店委託を検討中です。

さて、Twitterでも告知はしていたのですが実は今回のファンブックには未掲載の原稿がありました。元々は評論の序文として用意されたものだったのですが、評論原稿の少なさとページ数の都合から掲載を見送ったものとなります。
ゲスト原稿を書いていただいたhighcampusさんにお見せしたところ「キレッキレですね」との感想を貰ったもので、今となっては掲載しなくて正解だったかなとも思うのですが、このままお蔵入りにもしたくないなー、と思いここで公開します。
普段から抱き続けてきたものを形にしたものなのですが、ひとつだけ先に断っておきたいのは、元長柾木を読む上で自分が参照してきたテキストの数々を自分自身も最初からすんなりと理解できたわけではない、ということです。当初は何を書いているのかよくわからなかったものが、再読を重ね続けたある瞬間にわかるようになった、という感覚がむしろ強いといいますか。
問題としているのは一体何なのかを感じて頂ければ幸いです。

「“元長柾木を読む”困難さ」

冒頭から言い訳じみたことを書くのもどうかと思うのだが、これより本書に掲載する原稿は評論と呼ぶのも烏滸がましい、引用の集合とでも呼ぶべきものだということを先に断っておきたい。元長柾木を読み解くにあたり新たな知見をもたらすような内容などではなく、これまでの元長柾木の数々のテキストを丹念に読んでゆけばわかる話をしているに過ぎない。元長柾木のテキスト群から可能な限り逸脱しない範囲で、かつ文脈における取捨選択を間違えないように内容を掘り下げてゆくことが一番の目的である。
ではなぜ今改めてそのような原稿を書くのか。元長柾木のテキストはゲームや小説といったフィクションに限らず評論も含め、その多くが単体では意味を絞り込むことが難しい。登場するワードや作品から何かへ接続できるように見えても正解が示されることはない。たとえば「未来にキスを」の感想をWeb等で調べてみると、作品そのものがメタフィクションか否かであるとか、作中のGenesisが肯定的なメッセージなのかアイロニーなのか、という点で解釈が様々であることからも、混乱している状況については多少なりとも理解していただけるのではないかと思う。そのような中で十分に検討を行ったとはいい難い解釈が元長柾木の言葉とみなされ、更には様々な主張や外部のテキストと接続して語られているからだ。ポエティックかつ衒学的な語り口のテキストに思わず引用したくなる魔力があることは否定できない。とはいえ、酷いものになると元長のテキストを内容とは実質無関係なアジテーションや、自分が悦に入るためのポエムの素材としか思っていないようなものまで見受けられる。アジテーションは言い過ぎにしても、内容をどこまで検討しているか怪しいものは少なくない。中にはテキスト内容の検討以前のものもある。元長柾木が藤木隻と共作でシナリオを担当している『猫撫ディストーション』シリーズはシナリオの分担については正確には明かされていない。元長柾木のシナリオとして内容を語るならばどちらが担当した箇所か、という点を検討するところからして慎重さが求められるはずなのだが、無頓着なままに元長のシナリオとして評価を下している光景を見たのは一度や二度ではない。
誤解の無いように説明しておくと、個々人の読者がどう感じたか、という話にまで異を唱えているわけではない。あくまで感想の域を越え、内容の検討も疎かにされたテキストの解釈を発信し、時に作者のメッセージとみなすことを問題としている、という点を強調しておきたい。そして同時に元長柾木のテキストの内容・思想を盲目的に肯定するわけではないし、是非を問うつもりもない。元長柾木が何かを語る時、そこに肯定や否定の意思が付随しているように見えて、単純にその存在を認識したという事実について述べているだけということがある。筆者も彼に倣い、あくまでテキストから何を認識したかという事実のみを語りたいと考えている。もちろん筆者を通してアウトプットされたものである以上、それが正解であるとは限らない。それでも批評として外部と接続する前段階の土台として、参照する価値のある内容に少しでも近付けたら、と願って止まない。